革命のファンファーレを読んで

久しぶりの投稿になりました。

今回は革命のファンファーレを読んで感じたことを書いていきたいと思います。


  著者西野亮廣さんはクラウドファンディングで、日本歴代最高記録を更新しました。クラウドファンディングには3種類ある。「寄付型」「購入型」「金融型」である。


  クラウドファンディング大切なのは集めたお金ではない。支援者数である。支援者数が増えることにより、自分が支援した物はどんなものなのか気になり消費者になってもらえる。そこをうまく活用しているなと感じた。考え方の視点が少し先を言っているように感じた。


  しかし、メディアはそんなことは何も知らない。ただ面白そうだから叩こうとして取り上げる。本当のメディアの必要性はそのようなことなのだろうか?僕は少し間違っているように感じる。まず、やったことのないことに対して批判非難することはおかしいと思う。実際に体験することでそれぞれ感じることがある。それを踏まえて批判非難するのは全く問題ないと思う。人間は確認作業でできている。写真やネットで見たものを見てみたいと思い、旅行などに出かけているのではないでしょうか?そして、実際に見てみてやっぱりすごいなぁと思う人もいるし、そこまですごくはないなぁと思う人もいるでしょう。それは人それぞれでいい。しかし、確認作業をしなければ気づかなかったことに違いない。その気づきが重要であると思う。


  物事の本質を突き詰めるためには自らが体験しなければいけない。誰の情報かわからないものに踊らされてはいけないと感じた。

現金を使うメリットはない!

  今の時代、クレジットカードやなんとかpayというものが溢れかえっている。現金を使うよりも安全で安心であるということを知ってもらいたいと思います。

 


  1.財布を持ち運ぶ必要がなくなる。1つものを減らすということは、紛失の確率を下げることにつながる。財布にかかるコストも削減することができると思います。

 


私は今財布を使っていますが、現金は入れていません。壊れ次第もう財布を持つことはないと思いますww  

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2.携帯1つで使った履歴が一目瞭然で見やすい。現金主義の人に話を聞いてみると、使いすぎるのが怖いということがあるそうです。しかし、履歴がすぐに見れるので使いすぎる心配は全くないかと私は思いますが。。。

逆にレシートでもらってしまう方が計算できなくなる可能性が高いと思います。

 


3.銀行.ATMに行く必要がない。わざわざお金を下ろすために端を運ぶ必要がないのです。その時間を他の時間にあて有意義なじかんをすごすことができるのではないでしょうか?

 


4.スムーズに支払いができる。財布を開き、お札を出し、小銭を出す。最低でも3つの工程が存在します。忙しい人はその時間でさえ惜しいのではないでしょうか?

 


最初はなれないかもしれませんが、これから活用し便利なものは使っていくべきだと私は思います。

 


 

  

アルバイトはするな!

 アルバイトはただの時間の切り売りにしか過ぎない。あなたの時間はその程度の価値ですか?


アルバイトをやって手に入れられるものはなんなのだろうか?将来起業して、店を開くために作り方やどのように店を回しているかを勉強したいなど、明確な目標があるならまだいいと思うが、ほとんどの人はお金が欲しいという単純かつ生産性のない答えではないだろうか。


お金の使い方は3つあると私は思います。

1.消費生活に必要なお金

2.浪費自分の欲を満たすためのお金

3.投資投資した以上の額を将来回収するため   

            のお金


お金の使い方は学校では教えてくれない。もちろん使い方など分かるわけがない。お金持ちになれない人のお金の使い方には法則があると思います。2がとても多く、3がとても少ないただそれだけだと思います。


ちょっと考えるだけで、お金に対する付き合い方が変わってくると思います。ぜひ、自分に投資をしてこれからの明るい未来にむけ、準備していただけたら幸いです。

 

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親へのメッセージ

 私は5月3日に成人式を迎えました。その時に両親へ送ったLINEについて書いていきたいと思います。

 

 ほとんど意思表示みたいなものです。内容がこちらです↓

 

  お父さんとお母さんは収入もたくさんあるおかげで僕は何不自由なく生活することができました。お父さんお母さんの言う通りにすれば、僕はお父さんやお母さんのようになることも出来ると思います。がむしゃらに働いて、税金が増えたらそれを払うためにもっと働いても、結局は借金だらけで終わってしまうと思います。終身雇用制度もなくなり、就職すれば一生食っていけるという時代は終わりました。経営規模縮小や経営規模適正化などは僕でも理解しています。近頃の大学新卒者の給料がお父さんやお母さんの時代よりも低くなっていることも知っています。どの職業も厳しくなっているのは確かです。社会保障企業年金だってあてにしてられません。僕には新しい答えが必要であると思います。 

 

 ある本の言葉を読み、心に落ちた文を参考にしました。しかし、私が言いたいことを代弁してくれているかのようでした。

 

 私は両親を尊敬しています。こんなにもいい親は存在しないと思っています。

 

 21歳になり、両親も将来について気にかけてくれているのはひしひしと伝わっていました。なにも考えてないわけではありませんでした。でも、言葉で自分の考えを発しなければわかってもらえるはずはありません。

 

 このようなことで、ぎこちない関係になっている人は必ずいると思います。親を突き放すのではなく、自分の思いを伝えてみるものです。もしかたらわかってくれるかもしれない。応援してくれるかもしれない。

 

 もしダメでも、自分に踏ん切りがつくのではないでしょうか。

 

 親の時代と子の時代というのは違うのが当たり前です。親がわからなくて当たり前なのかもしれません。

 

 何かのきっかけに、自分の思いを伝えてみましょう。いい方向へ進むことを信じております。f:id:RyoTime:20190528181136j:image

 

 

 

多動力 ~著書を読んで~

1つのことで食っていく。そう考えている人がほとんどであると思います。しかし、時代は確実に変化しています。終身雇用制度も終わり、いつクビになってもおかしくない時代です。年功序列をいいことに、能力もないのに、高い地位を持ち社会の荷物となっている人がとても多いように感じる。

 


インターネットの普及により、全産業のタテの壁がなくなった。だからこそ、まだ未知の世界(ブルーオーシャン)が広がっていると思います。

 


日本人の頭には石の上にも三年という価値観が非常に強く根付いている。我慢することを、美学にしているということです。

 


寿司職人の例があった。情報伝達手段が限られていた時代には、寿司職人がどのようにして酢飯や魚のうまさを最大限引き出す包丁の使い方は職人のみぞ知る専売特許でした。しかし、インターネットの時代ではオープンイノベーションが前提となった。だれかが、新しいものを作ると言ったら、みんなで改良し新しいものを組み合わせ、さらに新しいものを作るというのがオープンイノベーションになった。情報や権利の囲い込みなどとは正反対の考え方です。

 


弟子入りをし、3年間掃除しかしない人と専門学校に入り、1年で技術を習得し店に出て経験を積む。どちらの方がいいかは言うまでもない。時間は有限です。非効率的なやり方では、ただ命を削られるだけではないだろうか。

 


ある程度の型にはまってしまうのではなく、自分で考え、ベターではなくベストを求めていく必要があるのではないだろうか。

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人生は判断と決断の連続

 人は1日生きているだけで、9000回の判断と決断を下していると言います。人間の脳は優秀で無意識のうちに働いてくれています。

 

 その中で必ず迷いというものがでてきます。迷いがでてくるとフォーカスポイント見えなくなり、判断が遅れる、もしくは判断を誤ってしまう可能性がとても高くなってしまいます。

 

 人は歳をとるごとにリスクを避けようと生きてしまいます。リスクを避けることにより、やりたいことをやるのではなくやりたくもないことを我慢してやってしまう。我慢をするということは思考を停止しているということです。思考停止している人間に面白みはありません。マニュアル通りに動くロボットと同じだと私は思います。

 

 迷いや決断は人生にとって大きな分岐点になります。迷うということは、少なからず思考しているということです。判断するということは、前に進んでいるということです。迷うこと判断することは、その人の成長に必ず繋がっていると私は思います。

 

これから先も、迷いや決断の連続だと思うが私自身にとって最適であるよう、行動していきます。

 

過去は変えることができる。

現在を必死に生きれば

 

ただの21歳の思考でした。

バカと付き合うな ~著書を読んで~

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貴方は自由ですか? 好きなように生きていますか? 我慢ばかりしていませんか?

 

本当の人間味とは何なのだろうか?これからとる行動をどうしなければならないのか?

 

時代は刻々と変わっている。そう感じさせられる一冊でした。

 

いちばんの問題だと思ったこと、それは教育についてです。

今の教育が悪い。そういうことではないと思うが、少しずつ時代にそわない内容になっていると思った。

 

時代は刻々と変わっているのに対して、教育は置き去りのまま。  

どうにかしてでも、この教育に一手加える必要があるのではないか。

 

勉強が出来る出来ないで判断すること自体が大きな盲点であると思う。

与えられた課題に対して、一つの答えを導き出す。その先には何もない。

一つ答えを見つけるよりも、多様な考え方そして発想力が大切になってくるのではないだろうか。

 

これから、AIが活躍する時代になってくるだろう。機械と同じようにしか動くことしかできない人間は真っ先に職を失う。特に単純作業は圧倒的に機械の方が良い。24時間休み無く365日壊れない限り動ける。機械には感情も存在しない為、とてつもない生産性をもたらすのは目に見えている。機械にはまさる事は出来ないと言う事は容易に分かるだろう。つまり、機械的な労働しかできない人材はこれから先職を失うリスクは大きい。

 

 

そのような人にならない為には、考える事を忘れてはいけない。最近よく、普通に考えてそうでしょや当たり前という言葉をよく耳にする。この言葉はまさしく、自分の固定概念を押し付けていると私は感じる。固定概念を押し付けると言う事は決まった形を持っていると言うことである。そこに疑問を持たず当たり前かのように接してくる。

 

鈍感になってはいけない。鈍感になるということは思考する事をやめている証拠。

常に時流を敏感に察知し、ベストを求めていく必要がある。